なにかと忙しい日々の中でどれだけ良い本と出会えるのかな?名作 迷作 ランキング本御紹介 それにまつわることなど少し、、、
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
偉大な詩人それはジャンコクトー
ジャン・コクトー Jean Cocteau、1889年7月5日 フランス

お勧め作品

『阿片』

昔この『阿片』が絶版で手に入りにくかった頃、古書店でやっとのおもいでたしか?5000-ほどで購入した、しかもその『阿片』は紙はぼろぼろで所々やぶけて落書きもあった、それでも読みたかったし蔵書したかったのだ、今では比較的簡単に読むことはできるが、それでもこのぼろぼろの『阿片』に愛着がある、初めて読んだ時のこんな世界が世の中にあったのかという驚き、あの痛々しいまでの詩人の切り裂く言葉に、、、、、なにかガラスの破片がささくれたったようで、、、まさにこの本が阿片だ!!絵も痛い!


ジャン・コクトー
前衛芸術家(作家、詩人、劇作家として著名であるだけでなく、画家や映画監督活動)。自身は中でも「詩人」と呼ばれることを望んだという。ダダやシュルレアリスムとの影響はあったと考えられるが、自身直接は運動に参加せず、むしろ対立も多かった。

1909年、自費にて最初の詩集『アラディンのランプ』を発表する。
ヴァスラフ・ニジンスキーに出会い、ディアギレフのバレエ団を通じて、ココ・シャネルと遭遇。1911年、イゴール・ストラヴィンスキー、1915年、アメデオ・モディリアーニをはじめとするモンパルナスの画家との交流。同年、エリック・サティやピカソとも出会っている。(すごいオールスターだ)1916年8月12日にモンパルナスのカフェ「ラ・ロトンド」にピカソとそのガールフレンドのモデル、モイズ・キスリング、マックス・ジャコブ、モディリアーニ、マヌエル・オルティス・デ・ザラテ、アンリ=ピエール・ロシェ、マリー・ヴァシリエフ、美術評論家アンドレ・サルモンらと一同に会し、この時にコクトーが撮った彼らの写真は有名である。

1917年、前年からピカソ、サティらと手がけたバレエ「パラード」初演。
1920年、一時は興味も覚えていたダダに対立。
天才レイモン・ラディゲと仕事を共にしていたが、1923年の彼の早すぎる死は、コクトーを悲嘆に暮れさせ、その後10年に渡り阿片に溺れる事になる。
1926年、シュルレアリストと激しく対立する。
1929年、阿片の療養の中で小説『恐るべき子供たち』を執筆。
1930年、『詩人の血』を実質の初監督。鏡に飛び込むシーンだ!大好きだ!!
1934年、演劇『地獄の機械』を初演。

J.コクトー/ 竪琴をもつオルフェ


主な作品

詩集
『アラジンのランプ』"La Lampe d'Aladin", 1909年
『浮かれ王子』"Le Prince Frivole", 1910年
『ソフォクレスの踊り』"La Danse de Sophocle", 1912年
『ピカソへの頌歌』"Ode ? Picasso", 1919年
『喜望峰』"Le Cap de Bonne-Esp?rance", 1919年
『寄港地』"Escale", 1920年
『ポエジー』"Po?sies (1917-1920)", 1920年
『用語集』"Vocabulaire", 1922年
『フランソワの薔薇』"La Rose de Fran?ois", 1923年
『平調曲』"Plain-Chant", 1923年
『天使ウルトビーズ』"L'Ange Heurtebise", 1926年
『オペラ』"Op?ra", 1927年
『神話』"Mythologie", 1934年
『謎』"?nigmes", 1939年
『寓意』"All?gories", 1941年
『レオーヌ』"L?one", 1945年
『はりつけ』"La Crucifixion", 1946年
『数字7』"Le Chiffre Sept", 1952年
『幽明抄』"Clair-Obscur.", 1954年
『パラプロゾディ』"Paraprosodies", 1958年
『不死鳥のスペイン風儀典書』"C?r?monial Espagnol du Ph?nix", 1961年
『鎮魂歌』"Le Requiem", 1962年

小説
『ポトマック』"Le Potomak", 1919年
大胯びらき』"Le Grand ?cart", 1923年
『山師トマ』"Thomas l'Imposteur", 1923年
『白書』"Le Livre Blanc", 1928年
恐るべき子供たち』"Les Enfants Terribles", 1929年
『ポトマックの最後』"La Fin du Potomak", 1940年

その他
戯曲 評論 映画 絵画 多数

おかしな家族

- 1963年10月11日 エディット・ピアフの死を知り、その4時間後に亡くなったという。

墓碑銘「私は君達と共に在る」


コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://books2006.blog65.fc2.com/tb.php/7-eca62f1d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。