谷崎潤一郎書簡発見、「運動音痴と裏付ける内容」
文豪谷崎潤一郎が1912(大正元)年、滞在していた京都の旅館に出した直筆の書簡が兵庫県西宮市で見つかり、8日から同県芦屋市谷崎潤一郎記念館で公開される。人力車から転落して頭を打ち、無断で東京へ帰ったことを釈明しており、研究者は「運動音痴だったとの評判を裏づける少しユーモラスな内容だ」としている。
公開される谷崎潤一郎の直筆書簡。手前に名前がしたためられている
書簡は8月5日付で東京から京都の旅館「八千代」に出されたもの。当時、谷崎は文壇に出て3年の新人作家で、東京日日新聞に見聞記を書くため八千代に滞在していた。大阪・住吉に出かけた際に人力車から落ち、具合がよくならずに予定を切り上げて直接東京に戻った。
和紙に「停車場附近(ふきん)尓(に)て人力車よりマッサカサマ尓叩(たた)き落とされ脳をひどく打ちて汽車はおろか歩くことかなわず(中略)何しろ旅先の事とて心細さ限りなく」などと無断帰京の顛末(てんまつ)を細かに記している。
西宮市の民家で見つかり、筆跡や、谷崎の当時の拠点だった東京の旅館の判子が押されていることから本物と分かり、同記念館に寄贈されることになった。
谷崎は、鉄棒ができなかったとか、跳び箱に激突して鼻血を出したといったエピソードが残っているといい、同記念館学芸員の永井敦子さんは「勉強はできるが、運動神経は鈍かったという評判通り」と話す。
代表作
刺青
痴人の愛
卍
蓼喰ふ虫
細雪
鍵
春琴抄
瘋癲老人日記
文章読本
陰翳禮讚
現代語訳『源氏物語』
二人の稚児
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谷崎 潤一郎 たにざきじゅんいちろう、1886年7月24日 - 1965年7月30日
明治後期から戦後にかけて活動した小説家。その作風は耽美主義とされ、多くの秀作を残した文豪。
文豪谷崎潤一郎が1912(大正元)年、滞在していた京都の旅館に出した直筆の書簡が兵庫県西宮市で見つかり、8日から同県芦屋市谷崎潤一郎記念館で公開される。人力車から転落して頭を打ち、無断で東京へ帰ったことを釈明しており、研究者は「運動音痴だったとの評判を裏づける少しユーモラスな内容だ」としている。
公開される谷崎潤一郎の直筆書簡。手前に名前がしたためられている
書簡は8月5日付で東京から京都の旅館「八千代」に出されたもの。当時、谷崎は文壇に出て3年の新人作家で、東京日日新聞に見聞記を書くため八千代に滞在していた。大阪・住吉に出かけた際に人力車から落ち、具合がよくならずに予定を切り上げて直接東京に戻った。
和紙に「停車場附近(ふきん)尓(に)て人力車よりマッサカサマ尓叩(たた)き落とされ脳をひどく打ちて汽車はおろか歩くことかなわず(中略)何しろ旅先の事とて心細さ限りなく」などと無断帰京の顛末(てんまつ)を細かに記している。
西宮市の民家で見つかり、筆跡や、谷崎の当時の拠点だった東京の旅館の判子が押されていることから本物と分かり、同記念館に寄贈されることになった。
谷崎は、鉄棒ができなかったとか、跳び箱に激突して鼻血を出したといったエピソードが残っているといい、同記念館学芸員の永井敦子さんは「勉強はできるが、運動神経は鈍かったという評判通り」と話す。
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谷崎 潤一郎 たにざきじゅんいちろう、1886年7月24日 - 1965年7月30日
明治後期から戦後にかけて活動した小説家。その作風は耽美主義とされ、多くの秀作を残した文豪。

